情報技術のガバナンス

18.2.7. 情報技術のガバナンス

この章の終わりに「情報技術のガバナンス」の問題、すなわち「私たちは情報技術をどう使っていくべきか」という問題に触れたいと思います。

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専門家と非専門家の役割 #

まず最初に「技術をどう使うかは、専門家だけが決められる / 決めるべき問題ではないこと」を確認しましょう。

少し範囲を広げて「科学技術のガバナンス」という問題を考えるとき、おそらくほとんどの人が最初に思いつくのは、福島第一原発の問題ではないでしょうか。2011 年 3 月 11 日に発生した東北地方太平洋沖地震では、東北地方の沿岸部にいた多くの方が津波でお亡くなりになるとともに、東京電力が運転していた福島第一原子力発電所で深刻な事故が起きました。広範囲にわたる放射能汚染を伴う事故によって、多くの人が避難生活を余儀なくされ、震災から何年もたった今でも地元に帰れずにいます。このことは、皆さんご存知でしょう。もしかしたら、このページを読んでいる皆さんの近しい人、あるいは皆さん自身の中にも、被災された方がいらっしゃるかもしれません。

一体何が悪かったせいで、このような事故が起きてしまったのでしょうか?もちろん、福島第一原発を運転していた東京電力に大きな責任があるのは明らかです。原発事故の被災者に対し、東京電力は真摯な姿勢で補償に取り組まなければいけません。しかし一方で、この事故を「東京電力が悪い」の一言で片付けられるかというと、決してそうではありません。そもそも今回の原発事故の直接的な原因は大津波であって、東京電力に悪意があったわけではありません。東京電力が責められるべき点は「悪意」ではなく「落ち度」です。したがって専門家による調査では、むやみやたらと東京電力を責めることではなく、原発運転手順のどのような箇所が事故に寄与したのかを見抜くことが求められます。また原子力発電所に関しては、政府が設けた種々の規制がありました。そうした規制があったにも関わらず、なぜこのような甚大な事故が起きてしまったのでしょうか?さらに政府以外にも、原子力発電所の安全性を問う市民からの声が事故より前からありました。そうした市民の声は、内容が適切だったのでしょうか?内容が適切だとしたら、東京電力まで届いていたのでしょうか?

このように福島第一原発の事故を考えると、単なる技術的な問題だけでなく「技術をどう管理・運用するか」という問題が潜んでいたことが分かります。そして技術の管理・運用を考えるにあたっては、現場の技術者だけでなく、地元の人々や政府関係者など、色々な立場の人の意見を踏まえる必要があります。福島第一原発の事故後の対応を「責任の押し付け合い」で済ませてはいけません。様々な立場から「事故を防ぐ / 事故の被害を軽減するために何ができたか」を検討することによって、はじめて福島第一原発の事故から有益な教訓を引き出すことができ、今後の原子力の使い方を決定する礎にすることができるのです。

さて話を戻すと、情報技術についても全く同じことがいえます。現代の情報技術は高度に発達しており、色々なことが実現できます。既に皆さんも、コンピュータやスマートフォンを使い、コミュニケーションを取ったり趣味を楽しんだり研究をしたりと、色々なことをしているはずです。一方で、情報技術を不適切に使えば甚大な被害を生むことも間違いありません。今でも、日々サイバー犯罪が発生しています。またサイバー犯罪でない犯罪であっても、その遂行にコンピュータが活躍する場面は多いでしょう。さらにややこしいことに、技術を使う人の立場によって、技術の「良い使い方」が対立することもあり得ます。技術の使い方を単純に良し悪しで評価できないことさえあるのです。

このような環境の中で「情報技術をどう使うか」を決めるには、様々な立場からの意見と、それに基づいた合意の形成が必要不可欠です。情報技術が高度に発達した今、専門家でない人が技術を詳しく理解するのは困難です。しかし技術の恩恵にあずかる大半の人は専門家でない人です。また技術を使うにあたっては

  • 利害関係や好き嫌いといった感情に流されることなく、客観的かつ冷静にメリットとデメリットを評価すること
  • 当事者となる人 (特に、事故の際に被害をこうむる立場の人) の感情を汲みながら、どのようなリスクを受け入れるかを判断すること

の両方が必要です。そして何より、技術それ自身は「どう使われるべきか」を提示してくれません。ですから専門家でない人たちが、必要に応じて専門家の協力を得ながら、どのように情報技術を使うかを検討しないといけないのです。

そして専門家と非専門家が協力するにあたっては

  • 専門家には、非専門家に対して分かりやすく説明する能力が
  • 非専門家には、専門家の話を理解するための必要最低限の知識が

それぞれ求められます。この文章を読んでいる皆さんの中には、将来情報技術の専門家になる人も、そうでない人もいるでしょう。専門家と非専門家の間を取り持つ人もいるはずです。また、一個人にできることには限界があります。一人一人の市民がありとあらゆる社会問題に関して感心を持ちつづけることは難しいですから、「考えることを放棄し、決定の全てを社会にゆだねる」という判断をする人もいると思います。皆さん自身の立場に応じて「自分には何ができる (できない) か / 何をする (しない) べきか」を考えられるようになってください。

具体的な問題例 #

以下、現代の情報技術の中からいくつか重要なものを選んで「その使い方にどのような問題があるか」を紹介します。これらの問題には答えはありません。皆さんは、どうすべきだと思いますか?

暗号 #

暗号技術にはデータの偽造防止技術なども含まれますが、ここでは狭い意味で「データを、特定の人以外が見られないようにするための技術」を考えます。

私たちは誰でも「人に知られたくない情報」を持っているものです。たとえばプライバシーに相当するような私生活上のできごとだったり、あるいはビジネス上の機密事項などです。こうした情報を守るために、暗号技術は必須のものです。特にビジネスが関与するものでは、守るべき情報の金銭価値に応じて、より厳重に暗号技術が用いられることでしょう。暗号技術はまさに、現代社会を支える情報インフラの役割を果たしています。

その一方で「許された特定の人が、暗号を強制的に解除する仕組み」が必要だという声があります。この背景にある一つの理由は、テロの脅威です。2001 年にはアメリカで、2015 年にはフランスで同時多発テロが発生し、非常に多くの一般市民が殺されました。また政治情勢の不安定な中東地域でも自爆テロが起きていますし、時代を遡れば日本でも「地下鉄サリン事件」などが起きています。こうしたテロに対抗するため、各国の警察当局は必要に応じて通信の秘密を侵し、危機を未然に防ぐ努力をしてきました。ところが通信が強力な暗号技術で保護されてしまうと、いくら盗聴等を行っても無駄になってしまいます。そのため「必要な場合に、警察が暗号をこじ開ける仕組みを作るべきではないか」という議論がされるのです。

このように、暗号技術の利用はジレンマに晒されています。私たちの安全な生活が守られるためには、時と場合に応じて暗号を破ることも必要でしょう。しかし、無闇に暗号が破られることも望ましくありません。歴史を振り返れば、通信の秘密が失われたことが言論の弾圧に繋がり、ひいては国家を戦争へと駆り立てたこともあります。私たちがどのような選択を取ろうと、常に一定のリスクは付きまとうのです。私たちはどのようなリスクを受け入れられるのでしょうか?また、どのような運用でリスクを抑えられるのでしょうか?

データの永続性に関する問題 情報技術のガバナンス 情報技術が社会に及ぼした影響